日工株式会社採用2025 Recruitment 2025

ENTRY

SCENE2

──2016年12月〜 日本・東京/川村 克裕

顧客の顧客を
動かすという戦略

前日にタイから帰国した山口から、プロジェクトの進捗状況についての報告を受けながら、川村克裕はある風景を回想していた。

プロジェクトが始まって間もない2016年9月、視察で訪れた現地のプラント建設予定地。一面の雑草に覆われ、熱帯特有のスコールであちこちに水たまりのできた、だだっ広い空き地だった。ここに日工のプラントを必ず建ててみせる──。風景とともに、その時抱いた強い気持ちが、彼の心によみがえってきた。

このタイのプロジェクトは、川村たち技術部門にとっても大きな意味を持っていた。東南アジアは日工の持続的成長における最重要エリアの一つ。タイの地域特性を踏まえた技術の蓄積ができれば、同国でのシェア拡大はもちろん、他の東南アジア諸国への展開にも必ずつながる。何としてもこの受注を獲得すべく、川村らはプラントの基本設計や部品・部材の調達方法など、さまざまな面でコストを最小化するための工夫を重ねてきたのだ。
「技術のみなさんの苦労はよくわかっています。それに酬いられるように我々もできる限り努力を続けているんですが、なかなか決め手が見えなくて…」そう嘆く山口に、川村は静かに言った。「この案件、正面からだけじゃなく、別の側面からも攻める必要があるのかも知れないですね」。川村の言葉の意味をしばらく考えた山口は、おもむろに口を開いた。「実は、私もずっとそれを考えてきました。タイの行政に働きかけて“戦いの場”そのものを動かす──ということですね?」川村は黙って頷いた。

最後の決め手は
ジャパニーズ・クォリティ

2人が描いたのは、直接のターゲットであるP社を飛び越えて、“ユーザー”つまり再生合材を使って国道を作るタイ政府を動かす、というシナリオだった。

資源を有効活用するリサイクル材の使用は「環境」の面で好ましいが、道路に最も重要な「安全」は確保せねばならない。タイには再生合材に関する指針はまだ存在しないが、今後必ず制定されるだろう。その担当者たちに日本の指針の考え方やそれをクリアできる日工の高い技術力を示す。それにより指針の策定方向に影響を与えられれば、結果としてP社の目は大きくこちらに向くはずだ。

道路行政へのアピール機会を創出すべく、山口は急いでタイへと戻った。

山口から連絡が入ったのは1カ月後だった。「やりましたよ!タイ政府へのリサイクルシステムに関する技術説明会の開催が決まりました。 日程は──」彼の声は弾んでいた。
「…色々とご苦労様でした。技術部としても最高の準備をして、プレゼンテーションに臨みますよ」川村はそう言って電話を切った。彼の目にはあの空き地に雄々しく立つ日工製プラントの姿が、くっきりと浮かび上がっていた。

川村 克裕

SCENE3

──2017年7月〜 タイ/柴田 智輝

受注獲得から始まる
もう一つの戦い

「P社から受注が決まったぞ!」。柴田智輝がその知らせを受けたのは折しもタイ出張の真っ最中、チェンマイ郊外の工業団地を視察に訪れていた時だった。

良かった…。ホッとする気持ちや深い達成感とともに、言いようのない緊張感が湧き上がってくるのを彼は感じていた。いよいよ始まる。忙しくなるぞ──。

2カ月前、タイ道路局で開かれた技術説明会。そこで上司の川村や営業の山口たちが見守るなか、技術担当として前に出てプレゼンテーションを行ったのは、他ならぬ柴田だった。再生合材に関する日本の法規制の実際、その背景にある考え方、日工の技術力と多くの実績など、多様なデータを道路行政の関係者に示すとともに、参加者の質問に一つひとつ丁寧に答え、理解促進に努めた。

あのプレゼンテーションがP社の発注方針にどの程度影響したのか本当のところは分からない。自分としては、大いに貢献したと信じたいところだが……。

いずれにせよ、その日を境にタイ案件は、柴田のメインの業務となった。プラントの「計画及び詳細設計」の担当者に任じられたのだ。

多くの苦難を
通して得たもの

プラントの大まかな仕様は、企画・提案の段階で決まっていたとは言え、現実にそれを建てるとなると細部までしっかり詰めた計画・管理が求められる。たとえば何万点にも上る部品について「内製か・外部調達か」「日本のからの輸出か・現地調達か」等々、一つひとつ決めていかねばならない。コスト抑制のために現地調達は増やしたいが、自社のコア技術に関わる部品などはうかつに外部発注するわけにいかない。柴田は何度も現地に飛び、各地の協力工場やサプライヤーを訪ね、情報を集めつつ設計作業を進めていった。

設計図が完成し、工事が始まってからも苦難は続いた。基礎工事のコンクリート木枠に「バナナの葉」が使われた事件に象徴されるような、日本では考えられないトラブルやアクシデントが頻発したためだ。

プラントがようやく完成をみたのは2018年2月。当初予定より2カ月遅れの竣工だった。

ずいぶん時間がかかってしまったな…。でもその分、収穫も沢山あった──。竣工式の翌日、日本に帰る便の機内で柴田は穏やかな感慨に浸っていた。

現地の諸条件に対応するための技術要素、協力工場や調達部品に関する現地情報、施工や据付でのポイント等々多くの知見を蓄積できた。その意味では、日工にとっても“タイ仕様のスタンダード”が作れたと言える。

次、同じモノを作るなら、コストも、時間も半分以下にしてみせる……窓下に広がる雲海を眺めながら柴田はぼんやり考えた。成田まであと5時間か──少し眠ろう。彼は目を閉じた。

柴田 智輝

EPILOGUE

──2019年2月 台湾・高雄/北嶋 直紀

世界各国で
「スタンダード」をめざす

その日の仕事を終えた北嶋が高雄のホテルに戻り、ノートPCを開くと山口からのメールが届いていた。今はロシアにいるらしい。例によって「資料の英訳」の依頼だった。

翻訳対象の文書の内容を確認しながら、北嶋は2年前に初めて関わった「タイのプロジェクト」のことを思い返していた。プレゼンテーション資料や図面、マニュアルの英訳などほんの“部分”の仕事だったかもしれない。だが、自分もあのプロジェクトの一員だったという思いが彼にはあった。

「いまタイでは、ウチのプラントで製造した再生合材を複数の短い区間に試験舗装して性能検証している。今年の(2019年)夏にはこの実証試験の結果が一通り出る予定だ。それがOKになり、タイの再生合材製造のリサイクルシステムの『スタンダード』としてウチが認められたら、第2、第3の受注も遠い話じゃないぞ──」ひと月ほど前、久しぶりに東京会議で会った山口は、上機嫌でそう語っていた。

この台湾では既にリサイクル材が公に認められ普及が進んでいる。だが世界各地には未開拓の市場がまだまだたくさん存在する。北嶋が市場リサーチでたびたび訪れるインドネシアやマレーシアをはじめとする東南アジア諸国でも、再生合材へのニーズが近い将来必ず顕在化してくるはずだ。タイで培った知見と経験は、そこにきっと活きてくるだろう。いや、活かさなければならない。今度は自分の番なんだ。
「できる限り早く仕上げます。」山口へのメールにそう書いて、北嶋は送信ボタンを押した。